水島は開進橋の辺りを車で走っていると,やたらカメラを持った人が多く居る。
何の話か調べると,ピーポーの新しい車両が輸送されてきたそうな。
新しい車両といっても久留里線のお下がりだが,今の車両が東海道新幹線よりも古い[1]だけに,新しいといえば新しい。
元々は20日が海の日だったというのは特に本題とは関係無いが,行事の取材に出掛ける。
まずは岡山で,桃娘の取材。今年で復活して3年目になるが,今年は予算が少なくなっているので来年も存続するかは微妙な所。
次に倉敷で,倉敷天領夏祭りに伴うピーポーの列車増結を取材する。何分,人の多い所は嫌いなので,祭り自体は全くもって取材しない。
昨年の10月から進めていた,MDの音源をバックアップする作業が終わる。
約200枚の内,1枚は読み込めなかったが,特にどうという事も無い。
このデータが日の目を見るのはいつのことやら。
岡山6時発の「のぞみ104号」で名古屋へ。中央本線の特急「しなの」には時間があるので,モーニングを食べながら時間を潰す。
モーニングの後は駅構内で時間を潰すが,東海道本線は人身事故で動かず。中央本線の10両編成は圧巻。
10時からは「しなの7号」で塩尻へ。人身事故の影響から5分遅れで名古屋を出るが,少しずつ遅れて塩尻には9分延着。中央西線の感想としては,木曽は山の中[2]としかいえない。
塩尻からは小野経由で辰野へ。こちらも乗換待ちで4分遅れの出発。その昔乗った時は,夜行で通過したので特に覚えていない。辰野では,岡谷発豊橋行が接続待ち。今時,こういった長距離列車が残っている事が珍しい。時間の都合により,辰野からすぐ塩尻に戻る。
塩尻ではホームのぶどう棚を見物して,普通列車で松本へ。松本からは,大糸線で信濃大町。やはり接続待ちで,松本出発が3分遅れる。松本の時点では,3両編成でも立席が出る程の乗客だったが,豊科を過ぎると一気に閑散とする。
信濃大町では,若一王子祭りが行われていた。各町の人達が正装をして行列を作るという,昔ながらの風習が残っている事に驚愕。信濃大町から南小谷へ。北アルプスは霧でよく見えないが,仁科三湖は見える。
ビスケットを天ぷらにする事で知られる小谷村まで来たものの,南小谷から先は土砂災害で不通。列車と同じ時間で代行バスが走っているので,そちらに乗る。
まず最初に,運転手さんより行先を確認される。土曜という事もあり,乗客11名は全て糸魚川まで行く様子。それにしても,雨とはいえ気温が21度というのは涼しい。
ここで問題となるのが糸魚川からの乗換で,列車の所定時刻は19時44分着だが,少し遅れると19時48分の金沢行普通列車,19時58分の金沢行「はくたか22号」との接続が厳しい。その一方,直江津方面は20時27分の新潟行「北越9号」,20時32分の直江津行普通列車と,実質問題にはならない。無線で金沢方面への乗客数を交信してから出発。
大糸線自体は国道148号線とほぼ並行しているが,あくまでも列車代行バスなので,駅に寄る為にバスは脇道へ入っていく。国道もトンネルや洞門が多く,カーブが多い。姫川も雨で濁っている。平岩や姫川で時刻を無線で報告しながら,バスは糸魚川へ。糸魚川も新幹線の橋脚で様変わりしていた。糸魚川へは2分遅れで到着。
糸魚川には大糸線用の気動車が留置されていた。元々は岡山配置の車だが,乗った事は無い。特急「北越9号」で長岡。夜なので乗客も少ない。
山下画伯の気分で長岡まで来たものの,花火にはまだ少し早い。中島先生の気分で来ると,ナイアガラ大瀑布ではなく人間ナイアガラになってしまうので却下。メーソンネーラン[3]になると,もはや新潟鐵工関係者しか解らなくなるので省略。
長岡の町をしばらく歩く。市役所の入っている「アオーレ長岡」は,建築として面白い。山本五十六記念館を見学するが,「常在戦場」のルーツは豊川の牛久保にあるというのは興味深い。また,立川綜合病院へボールマシンの調査へ。実際の所,長岡へ来た理由はこれが一番である。
長岡駅に戻り,上越新幹線で東京。東京を少し回った後,新幹線で名古屋。名古屋で降りたのは弁当を買う為だけだが,名古屋ですら鰻の代用品に豚を使うので,どうせならと松浦のみそカツに。みそカツを食べながら岡山。